[西宮市]郷土資料館の大阪道兵庫道道標

西宮市立郷土資料館には「広田の西国街道道標」の他にもう1基の道標が保管されています。
資料館の合田氏によれば、旧所在地も、資料館に持込まれたいきさつも不明だそうで、高さ約55cnの小さな道標です。

傷みが激しく、「大坂道」は鮮明ですが、その右面の「兵庫道」は何とか読み取れると言う状態です。他の2面から文字は読み取れませんが、元は何かが書かれていた可能性も否定できません。
合田氏によれば、字体や形状から見て、そう古いものではないと考えられるそうです。
「大阪」の「阪」が「坂」になっているから江戸時代であるとか、逆に「阪」の場合は明治時代であるとか言われることがありますが、必ずしもそのように線引きできるものでもなく、「坂」か「阪」かを根拠に製作年代を推定するのは危険です。

確実な旧所在地についての情報はありませんので、表記内容から推測してみます。
兵庫に通じる街道は西国街道、大阪に通じる街道は中国街道ですが、西宮市内で該当する辻は2箇所しかありません。
まずは、西宮神社の東南角です。

ちょうどこの位置には、現在、辻の向かい側から移設されて来た、寛政11年(1799年)建立の常夜灯型道標があります。


既にこの辻にはこの巨大な常夜灯型道標があったことと、神社の回りには多数の石造物が並んでいて、このような目立たない道標では埋没して役にたたないを考え合わせると、旧所在地としては不適当と考えます。

もう1箇所の候補地は本町筋の東端、与古道筋へ左折する角です。

大正時代まで、本町筋は正念寺の黒門に突き当たって行き止まりでした。そして今と異なり、与古道筋は南北に通じていました。
行先に京都が含まれていない点は気になりますが、この道標の存在が有効であるこの辻が旧所在地ではないかと推定します。

本町筋から北へ与古道筋を見た写真です。
ちなみに、ここからすぐ北方の京都方面と大阪方面が分岐する辻の北東角には江戸時代明治時代を通じて道標がありましたが、現在は所在不明です。

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